東北4日目:見えない現実と信頼

2011/05/03

前回までの記事:3日目

毎日寝る前に書こうとはするものの、文章では表現しきれない話が多く何とかまとめようとしているけど、結局疲れと明日の起床を考えると気力尽きて寝てしまう。朝ごはん。今日もありがとう。

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4日目、今日は大口の物資輸送。
12世帯70人規模の陸の孤島に。ここには自衛隊の給水も行政もこない。ただ電気とガスはきているし、水は沸き水を車で汲んでいるのでなんとか。車をパンパンにして、他の倉庫で少しでも多く要望のある物資を探す。積み込む人で3人、物資を倉庫から探し出してもらうひとが10人。倉庫の作業の人たちは、いくら現地とはいえ直接、被災している人と会えないし、海辺の被害の大きい場所も見ることができない。でも、サポートのサポートに徹して、みんな協力的。
やはりここに来ている人は、すごい意識。普段は誰もがいやがる仕事を頼まれもせずやるし、となりや忙しそうにしている人に「手伝いますか?」「大丈夫ですか?」「できることありますか?」と声をかけてくれる。
それだけではない、「こうしたらいいと思う」「そのお宅に赤ん坊はいますか?」「洋服ですが、身長は?」など、物資を望む人が少しでも喜べるように近づける気遣いを絶やさない。だからこそ、自分は話したこと、見たことを少しでも多くのスタッフに、そして自分の住む場所の友人に伝える、いや伝えたいと思う。
そう改めて思いながら、配送の準備をしていました。

物資の届け先は、釣り場や漁場だったのですが、海岸線は壊滅。家はすべて高台だったので、比較的無傷。
ただし、それが陸の孤島となる要因。内陸の街は普通に商店はやっているし食堂もある。想像以上に活気があるくらいなのだが今までの日記のとおり海岸線は壊滅状態。
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国道や港付近は、行政は入りやすいが、1本入ったところまでは自衛隊も行政もこない集落もある。基本は見た目で判断してるのかわからないが、

被害が無い=避難者がいる

可能性が高いことは考慮されていないようだ。
そこで大変なのが受け入れ宅、支援が無い場合、街へ買い出しにいくか物資を配給しているところに出向くしかない。

買うにも仕事ができないので収入も無い。道挟んで目の前で炊き出しをしてるけど地域が違うという理由で、配給がもらえない。電気、ガス、水道が通っているにもかかわらず、孤島化している家が本当に多い。
これはこちらに来てわかった大きい事実。

「家壊れてないのに、物資もらうのはどうかと思う」というのは抱きやすいが、それはそれで大変な面はあるのです。
そのような、場所へ行ってまとめ役の家に、いざ荷物を下ろすと説明してる後ろで、子供達が段ボールをあさり始めている。

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これにも思うところがあるのだが、まとめ役のある種の特権のようなものもあるけど、人間性と現在の環境が露呈する面では、現状把握の立場としては良いデータになる。
また、2日後などに再度訪れて物資がどうなっているか把握することも大事。それにより、信用していないわけではないが、平等に分配されているかというのも調べる必要もある。
お昼は、港で。歌津崎付近の泊浜
フリーズドライのパスタとミニラーメン。
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もう、何でもうまい。ってか食べられる幸せ。
帰りにもまた、周辺を調査しながら。
小さな町は、跡形もない。
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今日はこちらに来て、はじめてお風呂に入りました。
お湯って素晴らしい、湯船って素晴らしい。
夕飯は、仲間と。
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お、、地震。3くらいかな。
今日は、なんだかんだ5,6回はあるな。。
慣れてはいけないけど、、慣れるな。。

と話が途切れましたが。

身勝手な人も現実に出てくるわけで、ある程度こちらも把握して、もっと訴求の高い人へのアプローチをしていくために会話などから間接的に把握するのも仕事だったりします。

今日は、たっちゃん&タグチさんが大島に行った話を聞いて、完全孤立していた状況を聞いたり。
とある小学校で起きている行政とか教育委員とかが機能しないことで、避難している人が苦労している現状を知らされたりしました。学校内だとなかなかボランティアの目が届かないのだけど、ちょっとしたきっかけで中の話を聞くと、なんと辛い状況であることがわかりました。教室内で調理ができないとか……。配給も厳しい状況。

デリバリーも運ぶだけでなく、役割だけでなく自ら考え、行動して、いろんな情報から自分たちに出来ることを考える人が集まっている、こんな経験をしっかりと吸収していきたいと思う。

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