東北7日目:一瞬の出来事、そして縁というもの。

2011/05/06

前回までの記事:6日目

さすがに疲労がたまり朝6時起きも厳しくなってきた。。。
そして昨日の天井掃除で腕が・・・

連休明けで、ボランティアも120名ほど減り。本部内のテントも無くなる。

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今日も軽作業のお手伝い。家の中にある家具や不要なゴミが大量にあるので片付けて処分場に持って行く作業。3人でお伺いしました。ここも津波の被害は無いが、ライフラインが無くなって冷凍していたものが溶けて腐ったり、壊れた家具がたくさんある。またこれを機会に不要な本や書類などを袋に分ける。
ここには白い犬がいて、はじめは尻尾をたたんでたけど、名前を呼んで遊んでいるといつの間にか心を開いてくれたようで、いろんな表情を見せてくれる。「バーン」とピストルで撃つと倒れてくれるのが愛くるしい。

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モデルなみのポーズだってできる?ここの家族は非常に明るく、次長課長の河本とザキヤマを足して割ったような、陽気にちょいちょいボケとフリをしてくる方で、こっちも乗っかったり、突っ込んだり。
面白いのは、お婆ちゃんも参戦してくる。ガハハとは笑わないけど、お茶を飲みながら、結構早いこのボケのやりとりをちゃんと聞いていて、一瞬、微笑んだりしてくれるし、お婆ちゃんを子供扱いすると、ちゃんとなりきってくれる。とても明るい家族。
でもこう見える奥には、きっと大変だったろうこの状況を隠しているのか、それとも本当に前向きなのか、判断は難しいけど。僕らがこの状況を楽しむ事は間違いではない。
ここでもお昼をいただきました。大量に茹でたパスタを皿に盛ってレトルトソースで。手作りの漬け物とサラダ。ここ

でもお婆ちゃんが一言
「こんなみんなで食べたの久しぶり、やっぱいいねぇ」
笑っていた表情の裏にあったものがポロリ。

  – 中略 —

片付け終わって処理場に運んで終了。処理場は何十台もの車の列があって1時間くらいかかった。
本部に戻り本日のデリバリーは終了。

※以下から少々過激な表現があります。

明日の午前には、東京への帰路につく。
本部に戻り、最後の夕飯を食べて、最後の全体ミーティングをしていると

 「誰かお医者様はいませんか?」

このドラマやコントでしか聞いたことないセリフ。
しかし誰も手を上げない様子。気づいたら手を上げていました。

 「上級救命の認定保持者ですが」

相手の返答を待たずして同行した叔父も普通救命を受けているので
お互いに目をあわせ立ち上がりました。

 気づいたら走ってました。

隣の避難所にいる人が倒れたとのこと。
その方は以前に脳梗塞になったことがあるような事を言っていまいた。

痙攣して苦しんでいるとのこと。
ファーストエイドキットを持って現場に行くと、横になり介抱されている。
顔を見た瞬間、素人ですが判断できました…Dead or Alive。
瞳孔が開き、眼球が飛び出て、口が緊張し、呼吸困難。
少しすると顔色も悪くなりチアノーゼがでてました。

 「救急車を呼んでください」(すでに呼んでいたそうです)

叔父と顔を合わせると無言のやりとり

 ・・これは大変な事態だと。

叔父と2人で、気道の確保に取りかかる。
もう数分は呼吸を我慢しているだろう。
周りもパニックで大声が飛び交う。
とにかく冷静にさせなければ。

感染防止のゴム手袋をつけ、用具を準備しながら、みんなに静かにしてもらう。状況を記録するようにメモをお願いしながら書くことを言う。倒れた時間、119通報の時間、飲酒、食事、家族など。ゆっくりと話かけながら舌でふさがった口の中をこじ開けてエアウェイで舌を押し下げる。無理矢理に嘔吐させるように気道確保と格闘すること数十秒。

 ーーエアウェイから「スゥー」という音
この音を、生涯忘れることができないだろう。

 ーー息ができた瞬間だった

まだ安心はできない、一番驚いてパニックなのは患者本人。
ゆっくり背中をさすり、落ち着かせて呼吸を促す。
まだ瞳孔は開き、眼球も落ち着いていない。
徐々に自発呼吸ができているので、

 「はい、呼吸できるよ〜、ゆっくりね〜 吐いて〜、吸って〜」

救急車の音が聞こえた、周りにも多少の安堵が浮かぶ。
パニックでもがく患者、でもこの作業を中断するわけにはいかないし、患者の手の動きに注意しなければならない、パニックの患者は逆に喉を自分で絞めたりする事もあるからだ。
患者を制御しながら気道確保を続けると、救急隊員が到着。

 「チアノーゼが出てましたので、気道確保。自発呼吸できています」
と伝えた自分と叔父の対応状況を見ると、隊員はすごく冷静だった。

 「その状態を保ってください」

すると隊員は、近くの人に状況を聴取し始めた。
持病が脳梗塞で以前にも倒れたこと、家族がいないこと、多量のお酒を飲んでいたこと。
いつから痙攣始めたか。

すぐに、別の隊員が到着したので、状態を引き継ぐ。
患者も少し落ち着いたようで、眼球は落ち着いてきていた。ストレッチャーに乗せ、僕らの対応を説明しながら運ぶ。 「宜しくお願いします」隊員からも「はい、ご苦労様でした」と。救急車が出発すると、 手が震えていることに気がつく。

安堵からなのか、この信じられない状況に出会った事実からなのかはわからない。一呼吸して叔父とがっちり握手をすると。

 「良かった、息できてたよね!」と。

まだ、どうなるかはわからないが。 自発呼吸できたことは、助かる可能性が相当上がったことに間違いはなく、仮にでも「助かった」と思うことができた。

込み上げる涙は、何なのかわからない。

仮にも助かって良かったと思うのと、自分自身がまるで無呼吸だったような緊張感から解き離れた安心感からなのか。
でも、終わっていない。”笑顔”で現場に戻ること。泣いてたら、悪い状況に取られるかもしれない。誤解をさけるためにも笑顔で、

 「大丈夫ですよ、自分で息してましたから。」
手袋を外し、用具を片付けながら。みなさんにお話。

 「みなさんの通報と、僕らを呼びにきたのが早かったから」
 「みんなも患者も頑張ったからね」

本部に戻ると、ミーティングは続けられている。
脇を通り、洗面所で消毒液を腕全体に振りかけて、念には念をいれて2回ほど。
ミーティングに戻ると、抜け殻のようになった自分は呆然としている。

 手の震えは、まだ止っていない。

何があったのか説明をさせてもらったついでに救命講習の受講のお願いをさせていただきました。たった4時間の講習で、もしかしたらこの状況を同じように乗り切れるかもしれない。

 是非受けて欲しい。

さすがに、上記のようなリアルで危なかった状況を伝えるのは控えましたが、僕らに何ができたのか少しでも伝わったかと思う。

翌日。。無事に処置されたとのことで、別の大きな病院に転院することになったと。
やっと本当の「助かった」を実感することができた。

 昨日の「スゥー」という音が脳をよぎる。

ボランティア活動とは関係ないけど、僕らがボランティアに参加しなかったら、この本部に来ていなかったら、叔父が誘ってくれなかったら。

 すべてが”縁”で繋がったことによるものだと。

人から、こういう話はあまり良い感じ方をしないかもしれない、武勇伝のように思われても仕方ない。でも、この資格を持つだけで、このような危機を乗り越えられる確率が少しでもあがるなら。この話と救命認定の取得を広めて行きたいと思います。

現地の被災者には、微力しか手伝えなかったけど。
ボランティアで来ていた人たちに、大切なのは直接的なものだけでは無い。

ここにきて、それを教わった自分が、後から来た人に少しでも同じような感覚を伝えられていればいいなと思う。
ここに来る前、自分は何の役に立てるのかわからなかったし不安だった。

いままでボランティア経験もない自分が…という不安は。
色んな意味で、少し自分の中で紐溶けたような気がしています。

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